筆者の父太郎は、明治41年に九州は小倉で生を受け、会社員としての生涯を送った。されど、かつて漱石が教鞭を取っていた、人文主義的な環境であった旧制五高に学んだこともあり、東京大学経済学部を卒業しながら文学的な素養豊かな知識人であった。一方で、父は書をたしなむ人間でもあった。我が子を指導することに情熱を傾けていた父にはかけがえのない戦友に画家坂本正直氏がいた。画伯の油絵が居間に掛けられていた我が家と宮崎在住の坂本画伯との間には、毛筆でしたためられ、時には巻紙にも書かれた手紙の往還がなされていた。食卓と居間には画伯の手になる暖かい色彩の織りなす、戦中の記憶を描く作品が掛かっていた。子供たちは画伯を「坂本先生」と呼ぶのがいつものことで、その温和な人柄のにじみ出す達筆と筆跡の妙が絶えず話題の種であった。それは我が青春、そして我が兄弟にとってのかけがえのない時間であった。
ここに示した図は、我が家に保存されている坂本先生の置き土産の中の作品である。戦前、父太郎は台湾に赴任し、台北に家族と暮らしていた。戦友の坂本先生がその台北の家を訪れ、その際の記憶を戦後描いたと思われるのが、この色刷りの素描である。これは、『ゑのおてほん』と旧仮名遣いで書かれた手製の図画の教科書で、画用紙にクレヨンで描かれた様々な素描を纏め、手製で製本した冊子の中の1頁である。
左右に、牛を勢いのある素早い筆致で茶色の牛を描き出していて、右上には小さく正面から見た別の牛が一匹認められる。茶を基調にした牛の形でありながら、黒のクレヨンが活発に動いて描かれた牛の胴体には豊かな丸みが成立していて、地上にしっかりと足をつけた牛がいる。
背景は緑で、牛乳屋で飼われていた飼育場の雰囲気を伝えている。上部には簡単に描かれた青の空。画面上には、坂本先生による自筆の解説が書かれている。

「タイホク、
幸町の牛乳やの
牛は白(シロ)と黒(クロ)の
まだらだった。
角はちいさくてまが
ってゐた
百姓の牛は
黒か茶色(チャイロ)が多い。」

白、黒、茶色という三つの漢字にルビを振っているのは、これが、筆者の兄一郎への贈り物で、親しかった太郎の息子一郎へのために作った、絵の教科書だからであると思われる。
戦後、台湾から引き揚げて来た我が父母と兄たちは、東京の新宿に暮らしはじめた。本図は、恐らく、昭和21年〜23年頃に東京に来られた坂本先生が我が家に宿泊され、その頃に太郎の長男一郎のために残していかれた、画帳の中の1枚である。筆者は戦後生まれで、父太郎と坂本先生が台湾にいたころは知らない。この手製教科書が作られた頃もまだ知らない。しかし、勢いのある茶と黒の筆致があるこの画帳は、物心つく頃から我が家に置かれていた。手ずから残されていた、この生の線と形こそが我が家の歴史にとってはかけがえのない記憶となった。その画帳の中の1頁である。

木村三郎
美術史家(金沢美術工芸大学客員教授)

台北幸町の牛乳屋の牛

坂本正直
《台北幸町の牛乳屋の牛》
素描
クレヨン、画用紙
縦 30cm 横 22cm




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