坂本正直長女 所薫子

 二○一八年八月十三日から二十日間、初めて「神戸・南京をむすぶ会&兵庫県在日外国人教育研究協議会 第二十二次訪中団」に参加した。関西空港から上海へ飛び、そこからは陸路をひたすらバスで南京に向かった。この会は中国の北や南、各地を巡っているが、八月十五日近くには必ず陸路を使って南京に入り追悼式典に参加している。バスの中から中華門を見た。砲弾の跡があるとのアナウンスがあった。この前で自慢気に記念写真を撮っている兵士たちを過去に本で見た記憶がある。
 二日目朝、通勤バイクや車がひっきりなしに走り抜ける中を荷車を押したり、長い棒に荷物をぶら下げた昔ながらの姿で悠々と大通りを歩く人がいた。高層ビルと古い建物が混在する街を燕子竌に向かうバスの中、「十万人、二十万人、数が問題じゃない」通訳兼案内役の声が耳に飛び込んできた。美しい風景が流血の河、死の地に一変した。
 三日目、「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」追悼式典に参列。広大な建物自体が記念碑のような敷地内に巨大な人体が地に埋もれているような彫刻の他にも多数の彫刻、地面には、真鍮で型どられた足型がいくつも並び、三十万個はあろうかと思われる小石が全体を囲むように並べられていた。一つ一つが、亡くなられた方々を現わしているのだろうか。
 一月に取り寄せた父の「軍歴」によると、輜重兵として一九三七年八月二十日に「北支河北省黄村」という所に着き河北省を転戦、十月二十八日河北省塘沽港から出発、十一月五日から翌年一月二日まで南京にいた。マイナス十数度の中を行軍したのだろうか。
 四日目、高速鉄道南京南駅周辺は高層ビルばかりで、まるで未来都市のようだ。高速鉄道で岳陽へ。岳陽楼の前に拡がる洞庭湖はどこまでも広く、時折二胡の音色が聞こえる。果てしなく続くような湖と湿原と蓮の花の車窓。湖水のほとりでは家の前の椅子に腰掛け、足元には数羽の鶏と愛犬もいて、つつましやかだが豊かで幸せな佇まいが見えた。
 五日目、「廠窖事件記念館」で聞いた生き残りの方のお話は鮮烈であった。
 五月頃、日本兵が家へはいって来た時にベッドの下のくぼみのところへ隠れたが見つかり、引きずり出され、他の村人と共に壁に向かって立たされ、多くの人が殺された。その人自身も刺され気を失い倒れたが、幸いにも綿入れのようなものを着ていて助かった。這うようにして豆畑に逃げ込み数日そこに倒れ隠れていた。豆の葉に溜まる雫を飲んで生き延び、村人に助けられたと淡々と語った。そこから移動中に出会った九十一歳の老人は、更に強烈だった。白濁した見えない片方の目で私たちを「日本人め!」とにらみつけ、「最近お墓を農地にするので掘ってもらったら、遺骨の中に母とお腹の中にいる赤ちゃんの骨も見つかった」「日本兵は凶暴な者ばかりだ」「人を殺し、家を焼き尽くす」と怒りをぶつけた。その後ろには彼の家族だろうか、親戚だろうか、沢山の人たちが見えた。ひ孫だろうか、小さな女の子も見えた。この人が生き残ったお陰で、これだけ沢山の子孫が生まれ、家族が続き、拡がっている。そのことに深い感銘を受けた。
 中国を南下するにつれて、暑さは増し、夜の街は湿気と熱気で蒸し器の中にいるようだった。街は活気に溢れ、人々は自由を謳歌しているように感じられた。いつまた政変が起こり、真逆の世界になるかもしれない。人々はどれだけ翻弄されてきたことだろう。いや実は今も翻弄されているのかもしれない。気づかないそぶりで笑い飛ばし、何百年もそうやってきたように暮らしているのかもしれない。

 父は中国に降り立った時にどのように思ったのだろうか。今は聞くこともできないが、二○○八年作、父が九十四歳の時の作品、一三○×二二○センチ油彩『転戦 馬部隊』を観ると地平線まで続く農耕地の中を馬を載せた貨物列車が走っている。馬は吊り下げられ船に載せられ、中国へ連れて来られ、貨車に詰め込まれ、泥土を行軍され、弱ると置き去りにされた。
『命令・勝哉号はあるけん ここにおけ』二○○六年作、一三○×二二○センチ作品からも知ることができる。
 父は敵国だと教えられていた中国に降り立った時、日本と変わらない田園風景に衝撃を受けたことだろう。それが晩年の大作となっているのではないだろうか。二回目の召集では台湾に行かされ、敗戦の翌年三月、錦江湾から上陸帰国した。山口薫に師事し抽象絵画を描き続けた。帰国後暫くは明るい抽象の絵を描いていたが、一九六○年頃から『老馬』一五三×一○三センチ『廃馬』一六○×一一○『ゴビタンを行く馬』一三六×九三など抽象だが、少し変化しているように感じる。
 一九七○年頃からは、確実に変化している。『輸送船の中の空』一六二×一三二センチ黒い船体と思われる中に馬の脚だけが見える。上には青い空。『貨車にのせられて』一一二×一六二。重ね塗りをしているのかもしれないが、一九七○年頃は、ただただ真っ黒な画面で貨物列車を描いていたように記憶する。私は勝手に「黒の時代」と名付けている。その作品は、どこにも見当たらない。

 バスは小さな運河を右手に猛スピードで進んだ。時折、アヒルの群れが泳いでいるのが見えた。バスが通り抜けると数十羽のスズメが稲穂の間から飛び立ちトウモロコシ畑も見えた。食卓にはカボチャ(南京)も数回登場した。平和を願わずにはいられない。

『火山地帯』2019年2月 195号

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