「火山地帯」表紙絵
「火山地帯」一〇〇号 表紙絵に寄せて
桜島との出会い
坂本正直
「火山地帯」一〇〇号の表紙絵に、桜島を描いてほしいと、島比呂志さんから、相談があったのは、九〇号がでたころであったろうか。 私は、火山の代表的な山、桜島を表紙絵として描く構想をねることを始めた。
桜島の山容を、鹿児島の街から見たのを描くのではなく、桜島の御岳の山頂、谷間、山襞を描きこむために、九二年の二月、宮崎から列車ででかけ姶良駅で下車、駅近くの踏切をとおり、鹿児島湾の海の方角への道を行った。 その時、下校途中の小学生の男子二人が道案内をしてくれた。
桜島がよく見える場所に早く着くため、重富でバスに乗った。 桜島がよく見えだしたあたりで、適当なバス停を運転手にたのんだ。 おりた所は、竜ヶ水大崎であった。
桜島は、前の時よりもかすんで見えたが、雲間から陽がさすと、谷の強い形の変化、山の重なりぐあいが見えた。 画面の構成上で必要なところを確認して写生した。 また、カメラで記録をとった。
桜島と私の出会いは、大正三年 (一九一四) 一月。 大爆発で火山灰が西風にのり、宮崎にとんできた時、あかんぼうの私の頭に灰をかぶった話を何度か聞いた。 小学六年の修学旅行は鹿児島で、桜島と対面している。 桜島爆発の絵はがきを買ったのが記念品としてある。
終戦のつぎの年の春、引揚船 (駆逐艦) の甲板から噴煙をうすくあげている桜島を錦江湾でながめた。 上陸した鹿児島の街は、焼け野が原となっていた。 焼けぬけたビルで、親たちのことを心配しながら、引揚者として数日すごすことになった。
桜島は静かにうすい噴煙をあげていた。
(「火山地帯」一〇〇号 (平成六年一〇月一日) )