家へ・高千穂通りを西へ
なじみの宮崎も高千穂通の両脇の家々も丸焼けで、無いのですから。
もう焼野原は、あたりまえであって、とにかく自分の家に帰らにゃならんでしょうが。
そして生きているかどうかわからんでしょうが。
もちろん今みたいに電話があるわけで無し。
はたして生きているのかなぁ。
不安があって、早く帰って確かめたい気持ちでいっぱいでした。
国富町立八代中学校 所蔵
Project Details
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1997
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827×932
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油彩•カンヴァス
なじみの宮崎も高千穂通の両脇の家々も丸焼けで、無いのですから。
もう焼野原は、あたりまえであって、とにかく自分の家に帰らにゃならんでしょうが。
そして生きているかどうかわからんでしょうが。
もちろん今みたいに電話があるわけで無し。
はたして生きているのかなぁ。
不安があって、早く帰って確かめたい気持ちでいっぱいでした。
国富町立八代中学校 所蔵
1997
827×932
油彩•カンヴァス